ガン患者は 死を怖がらない 境地に達すれば 必ずまた 道は開けるのです!
幼いころに「死」を強く意識したことは、結果的にその後に良い影響を及ぼしたと考えています。「一度きりの人生だから、後悔のないように生きたい」という信条で精一杯やってこられた気がするからです。それはがん患者になって、なお一層明確になりました。生きているものは、いつも死と背中合わせにある。だからこそ充実した生を送りたい。その思いを強くしています。
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幼いころに「死」を強く意識したことは、結果的にその後に良い影響を及ぼしたと考えています。「一度きりの人生だから、後悔のないように生きたい」という信条で精一杯やってこられた気がするからです。それはがん患者になって、なお一層明確になりました。生きているものは、いつも死と背中合わせにある。だからこそ充実した生を送りたい。その思いを強くしています。
がんを経験した人は、「再発した人がこれだけいる」というような話をすることがあります。それは経験者として、ああいうことがあった、こういうことがあったと、再発をしないように生活する術を教えてくれようとしているのです。
いろいろな会社の懇親会に出ていると、いかにがんを隠していらっしゃる方が多いかということにも気づかされます。人にうつる病気でもないのに、隠して隠して、がんは悪いものだというようにとらえている方がたくさんいることも初めて知りました。日本は病気というだけで仕事を降ろされたり、出世の道が阻まれたり、会社に知られると辞めさせられるのではないかという不安があるために、秘密にしてしまう方が多いのではないでしょうか。
「頭がツルツルになります」と言われて、「ああ、こうなっちゃうんだ。どうしよう」と思うのではなくて、「自分はならない!」と否定して、脳に働きかけて欲しいのです。そのマイナス要素を撥ねのける力が、がんと対峙する上でとても大切だと思っています。
確かに抗がん剤を投与した直後はだるさを感じて無気力になることはありました。また便秘がちになって、三日間便通がなくなり看護師さんに浣腸をしてもらったことも二度ほどあります。ただそれも便を軟らかくする薬を飲むことで解消されました。
とにかくがんの治療に関しても何でもかんでも医師のいいなりにはならずに、自分の考えをしっかり持って判断していこうと決めました。それがもし裏目に出ることになったとしても、自分がよかれと思ったならいいではないかとすることにしたのです。この姿勢はその後の治療のさまざまな過程においても一貫していました。
医師はどんな場面においても、患者が生きる力を奪うような言葉を放つべきではないと思っています。むしろ病気に負けないという気持ちを奮い立たせるような声かけをすることが務めなのではないでしょうか。ただ私は一度たりとも、医師の言葉によって「もうダメかもしれない」とめげたことはありませんでしたし、ちっとも死ぬ気にはなりませんでした。
「抗がん剤ってヒドイっていうけど、どんなにヒドイんだろう?」「とりあえず受けてみて自分が経験しないことには人に伝えられないから、やってみよう」またどういうタイミングで緩和ケアに移行するのか、知りたいと思いました。そのときから、はっきりとした意思があったわけではないですが、自分の経験を通してがん治療に還元できることはないだろうかと感じ始めていました。
「がんちゃん、私が死んだら、あなたも死んじゃうから、それじゃつまらないでしょう?」「生かしてくれたら、私があなたを苦しませずに責任を持って溶かします。いなくならなくてもいいから、悪さをしないでください」「でもそのためには医者も必要ですから、その方法はその都度お伝えしますね」
まさか自分ががんになると思っていなかったので、さすがに衝撃を受けました。いかに自分の体を過信していたかを思い知らされたのです。だんだんと気持ちが落ち着いてくると、自分としても末期がんと言われたものの、少しも死ぬ気がしないことに気づきました。余命宣告を受けても、まったく死ぬ気にはならなかった。
自らの体が発するものを感じること、自分の勘を働かせることがいかに大切かということを今さらながらに感じます。そこまで医師は考えてくれないですから、医師任せではいけないのです。「病気とケガは自分持ち」私が出した結論です。病気を他人や仕事のせいにすることは大間違いです。がんは自分でつくったものですから、まずはそのサインに気づいて、自分自身で治そうと思うことです。