ガン患者を診ないで 病気ばかりを 気にして 見る医者は 信用できない!
「だからオプジーボをやってと言ったでしょ!」と叫ぶと、呼吸器科の医師が「教授に伝えます」と言いました。さらに、「教授に伝えるなんて言ってる場合じゃないわよ、すぐオプジーボをやってください」と訴え続けたら、「やれるかどうか調べるのに、一週間から十日かかります」という返答がありました。
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「だからオプジーボをやってと言ったでしょ!」と叫ぶと、呼吸器科の医師が「教授に伝えます」と言いました。さらに、「教授に伝えるなんて言ってる場合じゃないわよ、すぐオプジーボをやってください」と訴え続けたら、「やれるかどうか調べるのに、一週間から十日かかります」という返答がありました。
私ががんになっても変わらない様子を目の当たりにして、皆さんビックリし、「勇気をもらった」と帰っていきました。中には泣きながら入ってくる人たちもいて、こちらの方が「何しに来たの? どうして泣いているの?」とオロオロするばかりでした。また十日に一度、必ず電話をしてくる人もいて、声で判断して、「ああ元気そうですね」などと言うのです。そのうちに私は頭にきてしまい、「あなた、私が悪くなるのを皆に話すために電話してくるの?」と言ってしまいました。
幼いころに「死」を強く意識したことは、結果的にその後に良い影響を及ぼしたと考えています。「一度きりの人生だから、後悔のないように生きたい」という信条で精一杯やってこられた気がするからです。それはがん患者になって、なお一層明確になりました。生きているものは、いつも死と背中合わせにある。だからこそ充実した生を送りたい。その思いを強くしています。
がんを経験した人は、「再発した人がこれだけいる」というような話をすることがあります。それは経験者として、ああいうことがあった、こういうことがあったと、再発をしないように生活する術を教えてくれようとしているのです。
いろいろな会社の懇親会に出ていると、いかにがんを隠していらっしゃる方が多いかということにも気づかされます。人にうつる病気でもないのに、隠して隠して、がんは悪いものだというようにとらえている方がたくさんいることも初めて知りました。日本は病気というだけで仕事を降ろされたり、出世の道が阻まれたり、会社に知られると辞めさせられるのではないかという不安があるために、秘密にしてしまう方が多いのではないでしょうか。
「頭がツルツルになります」と言われて、「ああ、こうなっちゃうんだ。どうしよう」と思うのではなくて、「自分はならない!」と否定して、脳に働きかけて欲しいのです。そのマイナス要素を撥ねのける力が、がんと対峙する上でとても大切だと思っています。
確かに抗がん剤を投与した直後はだるさを感じて無気力になることはありました。また便秘がちになって、三日間便通がなくなり看護師さんに浣腸をしてもらったことも二度ほどあります。ただそれも便を軟らかくする薬を飲むことで解消されました。
とにかくがんの治療に関しても何でもかんでも医師のいいなりにはならずに、自分の考えをしっかり持って判断していこうと決めました。それがもし裏目に出ることになったとしても、自分がよかれと思ったならいいではないかとすることにしたのです。この姿勢はその後の治療のさまざまな過程においても一貫していました。
医師はどんな場面においても、患者が生きる力を奪うような言葉を放つべきではないと思っています。むしろ病気に負けないという気持ちを奮い立たせるような声かけをすることが務めなのではないでしょうか。ただ私は一度たりとも、医師の言葉によって「もうダメかもしれない」とめげたことはありませんでしたし、ちっとも死ぬ気にはなりませんでした。
「抗がん剤ってヒドイっていうけど、どんなにヒドイんだろう?」「とりあえず受けてみて自分が経験しないことには人に伝えられないから、やってみよう」またどういうタイミングで緩和ケアに移行するのか、知りたいと思いました。そのときから、はっきりとした意思があったわけではないですが、自分の経験を通してがん治療に還元できることはないだろうかと感じ始めていました。
「がんちゃん、私が死んだら、あなたも死んじゃうから、それじゃつまらないでしょう?」「生かしてくれたら、私があなたを苦しませずに責任を持って溶かします。いなくならなくてもいいから、悪さをしないでください」「でもそのためには医者も必要ですから、その方法はその都度お伝えしますね」