もくじ
『セールスの軌跡』セールスという太古からの営みを振り返ります
人類の歴史とともに生まれたセールスという行為は、人にとって根源的な営みと
も言えるものです。古代の物々交換に始まり、中世には哲学、思想、信仰といっ
たものに価値が見出され、交易を通じて広く伝播していきました。近代において
は、目覚ましい技術革新によって経済が発展し、新たな国家や社会、産業、企業、
職業が生まれ、発展してきました。
セールスという太古からの営みの軌跡を振り返り、それぞれの時代に何が起こり、
どのような人物がいて、セールスの「これまで」と「これから」にどのような
影響を及ぼしてきたのか?――過去をひもとくことで、セールスが今後向かう先
と、この仕事に携わる皆さんの未来が見えてくるでしょう。
それでは、セールスの軌跡をたどってみましょう。
紀元前3000?800年 交易の始まり
セールスの起源をたどるには、有史以来の歴史の始まりにまで遡らなければなりません。狩猟採集を中心とする原始的な生活から、
農耕、金属の製錬、文字の読み書きを行う文明社会へと移行するにつれ、新しいニーズやそれを満たす手段が生み出されていきま
した。エジプトやアジアの大河流域で芽生えた文明は、美術、技術、商業の礎を築き、人類が繁栄する足掛かりを創りだしたのです。
狩猟採集に頼らずに生きていく術すべを見出した人類は、物と物を交換しあう
ことで、さらに効率よく生活できることに気づきます。この時代には、農
具などの生活用品に金属が使われるようになります。銅や錫の材料とな
る鉱石資源が豊かな地域では、採掘や製錬の技術が発達し、やがて資源
に乏しい地域での需要を満たすために、交易ネットワークと輸送手段が生
み出されました。
製錬と農業技術が発達し、絹、手工芸品、衣服などの生活必需品の生産
が増えてくると、品物を交換するための仲介者が必要になりました。市場
や経済の中心地が生まれたのも、この頃です。市場に人が集まれば、宣
伝や値引きが盛んに行われるようになりました。たとえばインドのバザー
ルでは、自分の品物がいかに良質で安いか、売り手が弁舌巧みに大声で
口上を述べていたと言われています。
この時代には、通貨や統治の体制がまだ完全には確立しておらず、取引は
価値が等しいと考えられるものを物々交換するのが主流でした。そのた
め、商人や貿易商は、取引を自分に有利にするための交渉術を磨くように
なっていったのです。
紀元前800?西暦500年 帝政、貨幣経済の時代
この時代にはギリシア・ローマ文明が花開き、ヨーロッパ大陸から北アフリカ、西アジアに至るまで、多大な影響を与えました。戦
乱が続き、クセルクセス1世、アレクサンドロス大王、ローマのユリウス・クラウディウス朝の皇帝といった指導者らは、勢力と覇権の
拡大のため、遠征と征服を重ねていきました。また、都市や水道などのインフラと、それらを管理するための行政機能が発達していき、
帝国の拡大とともに、多くの国や文化に言語、政治、教育、宗教も広まっていったのです。
帝国が版図を拡大していくなか、農業と自由貿易が経済を支えるようにな
り、イタリアでは葡萄とオリーブ、北アフリカでは穀物といったように、輸
出を目的とした特産品の生産に力が注がれるようになりました。農作物を
安く大量に生産するため、ローマ帝国の最盛期には、多くの人々が農業生
産に従事するようになっていたのです。
帝国が貿易により、各地から富を集める仕組みを確立するようになると、
貨幣が流通し始めます。また、海上輸送が発展し、商品を安く、速く運べ
るようになりました。貿易商や商人は、貴族が支配力を保つのに必要な
品物を提供する、重要な存在であると同時に、これらの勢力から社会秩
序を揺るがす脅威とみなされていました。実際、成功を収めた商人が貴
族の仲間入りをすることもあったのです。
歴史上の大きな出来事や著名な人物を、セールスという視点から捉えるこ
とはほとんどありませんが、何かを売り込むこととその手法は、物品以外
にも適用できます。この時代には、哲学や思想、信仰に普遍的な価値を
見出し、広く伝えていくとういう形の「セールス」が活発に行われました。
現代の倫理観や法律、行動規範は、この時代から受け継がれているもの
が少なくありません。
400?1300年 中世
暗黒時代とも呼ばれる中世は、苦難と変遷の時代でした。ヨーロッパ全土、北アフリカ、アジアに至るまで影響を及ぼしたローマ
帝国が衰退し、民族大移動を経て新しい国家や文化が生まれました。古代とルネサンスの過渡期であるこのとき、階級化がさらに
進み、ヨーロッパをはじめとする各地に封建制度が広がり、分断された世界で支配階級が権力を強めようとしていました。
ローマ帝国の滅亡とともに、地域間の経済的、社会的連携やインフラが
徐々に崩壊したことで、地域ごとの分断が加速していきました。移動や物
品の運搬に危険がともなうことも多くなり、貿易や輸出品の生産は減少し、
経済拠点はその機能を失い、大規模な陶器製造など、あらゆる産業が衰
退しました。特にヨーロッパ内陸部では、輸入品の入手が困難になるほど
でした。
かつての西ローマ帝国の行政システムとインフラが失われると、教育や教
養のレベルも急速に低下しました。また、ペストなどの伝染病により、経
済は大打撃を受けます。およそ50万人いたローマの人口は、中世初期に
は2万人にまで激減し、需給の停滞により、商人にとっては厳しい時代と
なったのです。
西暦700年ごろになると、ヨーロッパでいくつかの大きな勢力が台頭し始
めたことで、事態は好転していきます。教育や科学の分野で先進的だった
アラブ国家とバイキングは、交易(あるいは略奪)のネットワークを拡大
して、ヨーロッパや北アフリカ、中東へと影響力を強め、長期にわたって隆
盛を誇りました。ユスティニアヌス1世やカール大帝は、ローマ帝国の過
去の栄光を取り戻そうと、ヨーロッパ大陸の一部を統一し、神聖ローマ帝
国の基盤を築きました。やがて中世盛期になると人口が増加に転じ、社
会の揺籃期を経てフランス、イングランド、スペインなどの国家が誕生しま
した。
1300?1600年 ルネサンス
ルネサンス初期は決して明るい時代ではありませんでした。黒死病が猛威を振るい、わずか2年ほどの間にヨーロッパの大半の国
で甚大な数の死者を出したのです。しかし、この暗い時代を経て、ヨーロッパは復興を果たします。中世後期にイタリアで起きた文
化運動をきっかけにルネサンスが花開き、美術、科学、文学、政治、宗教などさまざまな分野で、新たな動きが起きてヨーロッパ全
土に広がり、近代文明の誕生へとつながりました。
ルネサンスの初期には、黒死病が経済に大打撃を与え、ヨーロッ
パの大半の地域で食料や土地の価格が下落しました。ルネサン
スといえば、まず華やかな芸術や文化が思い浮かびますが、そ
うした活動にはお金の動きがつきものです。美術品や織物、そ
の他の高級品に対する需要が高まり、貿易や商取引において、
銀行が重要な存在になりました。
この時代、芸術は特権階級の道具としての意味合いを強め、絵
画の創作や収集に競うように資金が投じられました。さらに、
工芸や科学、音楽、宗教における活動も活発になり、どれだけ
自由にお金を使えるかで、社会的地位や財力を誇示することが
流行したようです。
イタリアは旅や貿易の拠点として独自の位置を確立し、ルネサン
スの中心地となりました。ところが、他国が中産階級を支援す
る政策をとるようになると、その地位は低下していきます。
16世紀に入り、ルネサンスの概念が広がりをみせるなか、ヨー
ロッパの大国であったフランス、スペイン、ポルトガル、イングラ
ンドは植民地を拡大し、経済力を強化して、ヨーロッパや地中海
地域の外にまで貿易ルートを発展させていきました。
1500?1800年代半ば 大航海時代と産業革命
15世紀後半以降、ルネサンスの精神に刺激されたポルトガルは、さまざまな大陸の探検へと乗り出しました。やがてフランスやイ
ギリス、オランダも、異国の地を植民地化していきます。この時代に起きた最も大きな出来事は、西インド諸島とアメリカ大陸とい
う「新世界」が発見され、植民地になったことでしょう。ルネサンス期の文化と経済の発展を受け、ヨーロッパ諸国では階級制度
に反抗する革命が巻き起こりました。一方、アメリカ大陸に急速に広がっていった植民地では、宗主国の決めた不平等な商習慣、
課税への反発が大きくなり、新たな産業革命と近代化への土壌が培われました。
この時代には、造船技術が発達して船の速度が向上し、遠方へ
の航海や海上輸送が可能になりました。新たな航路が開拓され
て大陸間での直接貿易が始まると、ヨーロッパは特に東アジアと
インドに対する支配をさらに強めました。ヨーロッパでは相次い
で革命が起き、各地で戦争が勃発しますが、やがて秩序を再建
すべくウィーン会議が開催されます。この会議では、領土の分割
についての取り決めがなされ、平和の維持と国家の繁栄を実現し
ていく方法について話し合われました。
急速に発展しつつあったアメリカでは、産業革命が進行して近代
化が始まりました。科学、技術、学問、マスメディアの役割が重
視されるようになり、都市化が進んで大都市が形成されていきま
す。生活水準が上がり、これまでになかったようなものが、次々
と求められるようになりました。
そうなると、企業はさらに高度な業務を手掛け、生産力を高めて、
取り扱う商品の多様化を進める必要が出てきます。そして、それ
らを売るための販売員も必要になってきます。
電気、電信、ミシンといった発明により、コミュニケーションや作
業の生産性、安全性が向上し、より質の良い製品の製造が可能
になりました。さらに、こうした発展をもとに、収益性の高い新
たな産業が芽生え、成長を続ける米国の各都市にチャンスと富
がもたらされたのです。1800年代には、万能薬とうたって、アメ
リカ西部で怪しげなヘビの油を売るセールスマンを描いた風刺
画が出回りました。粗悪品を強引に売りつける商法が見られるよ
うになったのも、この頃です。
1800年代後半 ?1950年代 20世紀の幕開け
南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦など、史上に残る大きな戦争が勃発した時代。飛行機やコンピューターが登場し、フォー
ドのモデルTから始まった自動車の大量生産が成功して、私たちの生活は大きく変化しました。こうした画期的な発明がなければ、
今日、世界を飛び回るセールスパーソンの姿は見られなかったでしょう。
19世紀末、NCR社の創業者、ジョン・ヘンリー・パターソンは、「パターソ
ンメソッド」と呼ばれる顧客中心の営業方針を打ち出しました。自社製品
については何も触れず、見込み客に対して、セールスパーソンが語るべきこ
と原稿にしてまとめたものです。これには、顧客からの反論への対処法も
盛り込まれていました。
1912年には、対人関係のスキル開発に重点を置いた「デール・カーネギー・
トレーニング」が生み出されました。およそ20年後、このトレーニングの
生みの親であるデール・カーネギーは『人を動かす』を出版し、たちまち
ベストセラーとなりました。この本は今日でも広く読まれており、これまで
に世界中で3,000万部以上を売り上げています。
20世紀初頭になると、セールスという職業は否定的な見方をされるよ
うになります。1916年にNew York Times紙に掲載された記事『Are
Salesman Needless?(セールスマンは無用?)』では、訪問販売員は仲
介人にすぎず、その役割はすぐに広告に取って代わられるだろうと述べて
います。
その1年後の1917年、活動資金を集める目的で、
ガールスカウトがクッキーの販売を始めました。
1950?1970年代 戦後、冷戦期
2つの世界大戦が終結した後も、世界的な混乱は続きました。30年ほどの間に、朝鮮戦争とベトナム戦争が勃発し、ジョ
ン・F・ケネディ大統領とマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺され、リチャード・ニクソン大統領は政治ス
キャンダルを起こして辞任に追い込まれます。一方で、1964年に公民権法が制定され、人類が月面に着陸するなど、
大きな人類の進歩が歴史上に刻まれた時期でもあります。
大量消費が国の繁栄につながると目されていた時代です。1950年代半ばまで
には、米国の半数以上の家庭にテレビが普及しました。人々の居住地が郊外へ
と広がるにつれ、ファストフード業界と自動車産業が発展していきます。マクド
ナルドが売ったハンバーガーの数は、1958年には累計1億個に達し、シボレー
は、1965年にインパラを年間100万台販売。この年間販売台数の記録は、現
在に至るまで破られていません。
「タッパーウェアレディ」と呼ばれた女性販売員が登場し、ホームパーティーが
盛んに行われるようになるなど、この時期は主婦もビジネスを始めるようになり
ました。それまで男性に占められていた職業に女性が進出するようになったのも、
この頃です。この背景には、性差別を禁止する法律が制定され、高等教育を受け
る女性の割合が増加したことがあります。1975年には、セールスに従事する労
働者の約42%を女性が占めていました。また、この時期には、アムウェイ社、シャ
クリー社、Mary Kay社など、ダイレクトセリングを行う企業が誕生しました。
一方、ゼロックス社は、買い手が十分な情報にもとづいて購入の意思決定を行
えるようにする「ニーズサティスファクションセールス」と呼ばれる、新しい販
売手法を開発しました。また、マック・ハナンは、顧客の立場で問題を理解し、
その上でソリューションを提案する「コンサルティングセールス」という手法を
打ち出しました。
掃除機の訪問販売員の多くが強引な売り込みをしたことで、セールスパーソンは
「早口でまくし立て、押しが強い」というネガティブなイメージで捉えられるよう
になりました。1962年の映画『ザ・ミュージックマン』(The Music Man)や、
1970年代末のテレビドラマ『かっとび放送局WKRP』(WKRP in Cincinnati)
などにも、胡散臭いセールスパーソンが登場します。この番組に登場するセール
スマネージャー、ハーブ・ターレックの描かれ方があまりにひどかったため、当
時のセールスパーソンは、ターレックを思わせる格子縞のジャケットの着用を避
けていたほどです。
1980?1990年代 インターネット黎明期
1981年、IBMは同社初のパーソナルコンピューターを発売しました。その翌年、「インターネット」という言葉が初めて使われます。
さらに2年後には、3,995ドルで最初の携帯電話が発売されました。1990年代半ばにはWebブラウザが普及し、ドットコムバブル
は全盛期を迎えます。1994年にはAmazon.com社が創業、出版業界に破壊的イノベーションが起こりました。
1980年代には、さまざまな営業手法が生まれました。顧客の課題を解決す
るための製品を提案する「ソリューションセールス」、顧客のニーズをいちば
んに考える「コンサルティングセールス」、戦略的にセールスサイクルを実行
していく「ストラテジックセールス」などです。また、1990年代初頭に公開
された映画『摩天楼を夢みて』に登場した「必ず契約をまとめろ(Always
Be Closing)」を意味するセールスの「ABC」も話題になりました。
テクノロジーの進化は、セールスに多大な影響を及ぼしました。インター
ネットが普及し、顧客がにわかに大量の情報を得られるようになったのです。
その結果、セールスパーソンにはそれまでとは異なる対応が求められるよう
になりました。即座に成約を取り付けるのではなく、顧客との関係構築が
重視されるようになったのです。
1993年に創業したSiebel Systems社は、スタンドアローン型の営業支援シ
ステム(SFA)製品を発表しました。ほどなくしてCustomer Relationship
Management(顧客関係管理)、略してCRMという用語が生まれ、SFAの
分野はCRMと呼ばれるようになります。1999年、Salesforce.comが創業
され、CRM 分野における、SaaS(サービスとしてのソフトウェア)型クラウ
ドコンピューティングモデルのパイオニア的存在となりました。
2000年 ?現在 クラウド、モバイル、ソーシャルの台頭
21世紀に入ると、人々がつながる新しい方法として、ソーシャルメディアが誕生します。2000年代初頭から中頃にかけて、MySpace、
LinkedIn、Facebook、Twitterが次々とサービスを開始。スマートフォンも登場します。2007年に初代iPhoneが、2010年には
iPadが発売されました。2014年にはGoogle Glassのプロトタイプが発表され、ウェアラブルテクノロジーが大きな話題を呼びます。
一方で、NASAのスペースシャトル計画はついにその歴史に幕を閉じました。
ソーシャルメディアを新しいチャネルとして活用する、ソーシャルセリングが
行われるようになりました。セールスパーソンは各々のソーシャルネットワー
クを活用して、既存の顧客や見込み客とつながります。買い手がWebで納
得いくまで情報収集できるようになった今、ソーシャルセリングを通じて購
買過程で「信頼されるアドバイザー」になれるのです。
マシュー・ディクソンとブレント・アダムソンの共著『チャレンジャー・セー
ルス・モデル』が発売されると、この営業手法が広まりました。この手法は、
顧客との関係構築を重視する一方で、顧客の固定観念を打破し、変化を促
すことこそ成功の秘訣であると説くものです。
また、インターネットの普及に伴い、データ保存とアプリケーション配信の
手段として「クラウド」の活用が進みました。これにより、企業は安全かつ
効率よくデジタル資産を維持し、いつでも、どこからでもデータにアクセス
できるようになりました。
クラウドとモバイルのテクノロジーを活用したCRMとSFAによって、営業の
生産性は規模を問わず、あらゆる組織で向上しました。マッキンゼーは、セー
ルスに関連する作業の40%は自動化できると発表しています。また、テク
ノロジーを活用して、インサイドセールスチームを拡大、あるいは既存
のチームを大幅に強化する企業が増えています。
そして未来へ
歴史をたどれば見えてくるように、顧客について理解を深めるほどに、状況に応じた提案が可能になり、成功の可能性が高まります。
未来学者でSalesforceの戦略プランニング担当シニアバイスプレジデントでもあるピーター・シュワルツは、セールスパーソンはます
ますスマートになっていくだろうと述べています。また、「現在進行中の最大の変化であり、しばらく主役を張るのは、AIの活用でしょ
う」とも語っています。初期の宇宙旅行からインターネットの誕生まで、数多くのテクノロジーに最前線で関わってきたシュワルツは、
5年以内には、一般的なセールスパーソンがインテリジェントアシスタントを使うようになるだろうと予想しています。インテリジェン
トアシスタントは、より緻密にデータを収集し、営業プロセスの段階に応じて、適切な情報を提供するようになるでしょう。同時に、
買い手もますます情報を味方につけるようになります。
シュワルツは、10年以内に、セールスパーソン向けにAmazon Echoの
ようなデバイスが登場するだろうと予測しています。「オフィスに到着し、
仕事を始める前に、『見込み客の一覧を見せて。今日はX社に電話し
た方がいいだろうか。X社の今日の株価は?』などと話しかけるように
なるでしょう」と述べています。また、20年後には顧客とのやりとりは、
ほぼバーチャルリアリティで行われるとも考えています。
シュワルツは、テクノロジーのほかに、グローバライゼーションも営業プ
ロセスに大きな影響を与え続けると考え、「現在、企業は世界中からモ
ノを調達し、世界中に販売しています。中小企業でさえ、以前は届か
なかったグローバルな市場に参入しているのです」と述べています。こ
うした新たなライバルと戦うためには、ITを活用して顧客とのつながり
を強化し、理解を深めることがますます重要になります。
彼はこのような変革が起きてもなお、セールスパーソンが不要になる
とは考えていません。「私たちは、セールスパーソンをさらに強くする技
術を開発しています。セールスパーソンがするべきことは、今あるツー
ルをすぐに使いこなせるようになることです」と言います。かつて、セー
ルスパーソンが顧客とメールでやりとりすることに消極的だった時代も
ありましたが、今では考えられないことです。
「前へと進んでいくしかありません。私が1968年にアポロ計画に携
わっていた頃、カプセルには計算尺が積まれていました。今あるよう
な電子計算機やコンピューターを搭載したくても、そういったものは
まだ存在していなかったのです。今、計算尺を使おう、なんて言う人
はいないでしょう」